日本語は本当に語順が自由な言語なのか?

最近twitterを見ていて気になったのが、
日本語は語順が自由だから…
という表現。
確かに日本語の場合、英語の文型のような語順に対する強い制約は存在しない。

  • 太郎が花子に本を貸した。
  • 花子に太郎が本を貸した。
  • 花子に本を太郎が貸した。

このように語順を入れ替えても特に問題はなく意味が通じる。
しかし、日本語の場合は1番上の例ように、ガニヲの順が一番受容性が高いと言われており、完全に自由というわけではない。
「勉強をする」のような「サ変名詞ヲする」型の場合や「手を焼く」のような慣用的表現の場合にはより顕著に語順が制約されてくる。

また、複雑な文の場合は係受けの曖昧性がなくなるような語順の方が好まれる。

  • 太郎が解けなかった問題を花子が解いた。
  • 花子が太郎が解けなかった問題を解いた。

では「解いた」の格要素ではヲがガより前くる上の例の方が自然と言えるだろう。
一般的には長い格要素を前に持ってくることで、係受けの曖昧性がなくなることが多いので、そのような語順になることが多い。

さらに前文などの文脈がある場合にはその影響も受ける。

  • 太郎に問題を出された。その正解を花子に教えてもらった。
  • 太郎に問題を出された。花子にその正解を教えてもらった。

では若干だが上の例の方が受容性が高い。
基本的に前文に出現する要素に関連する語が先頭に来る方が受容性が高いと言われている。

とりあえずガヲニに限ってみたが、実際の日本語ではこれ以外の格要素や「ハ」など多様な問題が絡んでくる。
それでも多くの場合格要素の順番を入れ替えても意味は通じることが多いが、しっくりこないだろう。
結論?としては「日本語は語順が自由だから…」というのは、自然言語処理の現状がそれ以上の違和感を扱うところまで到達していない、ということなのではないかと。